
| タイトル | 自由学園明日館 |
| 作者 | フランク・ロイド・ライト |
| 🇺🇸アメリカ | |
| 設置場所 | 東京都豊島区 自由学園明日館 |
| 製作年 | 1921 |
| 備考 | 重要文化財 |
自由学園は1921年に創立された学校で、その教育の土台にはキリスト教が据えられている。ジャーナリストの羽仁もと子・羽仁吉一夫妻により建学された。教育理念は、「思想しつつ 生活しつつ 祈りつつ」、「よく教育するとはよく生活させること」というもの。24時間の生活すべてを学びの場と考え教育をすすめている。幼稚園から大学まで全ての教育過程が揃う一貫校であり、指導要領に定められた必履修科目を学ぶことを前提に、生徒が幅広い科目を希望して選択できるカリキュラムが組まれている。
1873年、羽仁もと子は青森県で八戸藩士・松岡家の長女として生誕。1889に上京して東京府立第一高等女学校に入学し、在学中にキリストの洗礼を受ける。1891年に明治女学校にすすむ。卒業後は帰郷し尋常小学校や盛岡女学校で教鞭をとり、結婚するがほどなく離婚して再び上京。1897年に報知新聞に入社し、日本初の女性記者として評判の記事を数多く執筆し高い評価を得た。1901年に職場の同僚・羽仁吉一と結婚し退職。1903に二人で「婦人之友」の前身である「家庭之友」を創刊し、婦人之友社を設立した。
1921年に読者の子女への家庭的な教育を目指し、この地に自由学園を創立。当時来日していたフランク・ロイド・ライトはファミリースクールへの共感から積極的に関わりを持ち、現在「自由学園明日館」と呼ばれるこの建物を設計した。
フランク・ロイド・ライトは、ル・コルビュジエ、ファン・デル・ローエと並んで「近代建築の三大巨匠」に数えられる天才建築家。自然と建築を融合させる「有機的建築(Organic architecture」をその理念としていた。1867年にウィスコンシン州で生まれたライトは、シカゴのアドラー=サリヴァン事務所で修行した後1893年に独立すると、プレーリースタイル(草原様式)と呼ばれる独特のスタイルを持った名建築を次々と生み出した。プレーリースタイルは、地下室や屋根裏を廃し部屋と部屋の仕切りも最小限にすることで、水平線を強調し高さを抑えた様式。この「自由学園明日館」はその典型的な例である。

1909年、ライトは妻・キャサリンと6人の子どもを捨てて、チェニー夫人との不倫に走る。この不倫によりライトの評判は地に堕ちる。社会的な信用を失ったライトに、1913年、日本の帝国ホテルが新館の設計をオファーする。そんななか、1914年に、愛するチェニー夫人と2人の子ども、弟子など7人が使用人により惨殺されるという悲劇がライトを襲う。ライトはこの悲痛を乗り越え、弟子の遠藤新と共に設計をすすめ、1923年に帝国ホテルは完成した。この明日館は1921年の竣工なので、帝国ホテルの建設と並行してライトが設計したもの。帝国ホテルと同様、栃木県産の大谷石が主要な部分に使われていると推定されている。
自由学園は1934年に校舎を東久留米市に完全移転するが、この旧校舎は現在もこの地に残され、結婚式やコンサートなどに使われるイベントスペースとして活用されている。




館内は見学することができる。館内に一歩足を踏み入れると、安心できる優しい空間に包みこまれる。傷心のライトが、どうしてこんな柔らかく優しい建物を作ることができたのだろう。まるで、祈りの空間のような穏やかさ。ライトの勁さに目頭が熱くなる。目を瞑ると、無邪気な学生たちのざわめきが聞こえてくるような、優しい気持ちが湧いてくる。
館内の食堂では、重要文化財の味わいを楽しみながらおいしいコーヒーをいただくこともできる。




コメント