
| タイトル | 史跡 須和田遺跡 |
| 作者 | 不明 |
| 設置場所 | 千葉県市川市 須和田公園 |
| 製作年 | 1996 |
須和田遺跡は弥生時代中期から平安期にかけての集落の遺跡で、1933年から1935年にかけて明治大学の杉原荘介により大規模な調査が行われた。遺跡からは「須和田式土器」をはじめとする資料が多数出土し、古代史を知る多くの資料がもたらされた。戦後も、何度も発掘調査が行われ成果をあげた。現在は静かな公園の風景となっている。
史跡須和田遺跡
昭和50年1月8日 市川市指定
平成6年2月22日 一部千葉県指定
須和田遺跡は、真間の台地から約700mほど東にのびる須和田台地のほぼ中央部を占めています。
この遺跡の発掘潤査は、杉原荘介氏によって昭和8年から10年まで続けられ、18年には忠霊殿の建設による太鼓塚の削平と付近の調査。26年に明治大学による市立第二中学校校庭の発掘湖査、28年には早稲田大学の滝口宏氏による忠霊殿南側の発掘調査が行なわれました。
その結果、弥生時代中期から平安時代初期(西暦前100年~西暦9世紀頃)に至る集落遺跡であることが分かりました。
杉原氏は発掘した土器のうち、弥生式土器に『須和田式土器』・土師器に『真間式土器』の名称を付け、土器による時代区分の上で重要な位置づけをしました。
その後、昭和42年から44年にわたる明治大学の調査、昭和45年の市立養護学校の増設工事にともなう調査などから、弥生時代の集落地域が推定され、また古墳時代からは住居も増大し、集落の範囲が大きく広がっていったことが分かりました。
特に奈良・平安時代には西に下総の国府を、北に国分寺を配置した重要な位置に、このような大集落が存在したことは、当時の政治、文化を考えるうえで重要な位置にある遺跡であるといえます。
この家屋は、和田遺跡から検出された弥生時代後期初頭(西暦100年頃)の住居を復元したものです。
まだカンナやノコギリなどの道具が使わず、チョウナで柱や板をけずり、また釘の使用も知らなかったので、植物のつるとか縄で結びつけていました。
この復元家屋は昭和44年、東京国立文化財研究所所長関野克博士の設計で、当時の手法をまねてつくったものです。
平成8年3月28日
千葉県教育委員会
市川市教育委員会
この撮影日現在、ここに復元家屋は現存しない。火災により失われたとのこと。
パブリックアート散歩 - Google マイマップ
ブログ用地図


コメント