
| タイトル | 支那駐屯歩兵第三聯隊慰霊碑 |
| 作者 | 不明 |
| 設置場所 | 千葉市中央区 千葉公園隣接地 |
| 製作年 | 1978 |
この石碑は、第二次大戦で大陸を転戦した歩兵部隊の慰霊碑。
碑誌
この聯隊は 北清事変以来北支に駐留した支那駐屯軍の伝統を継ぎ昭和13年2月中国北京において編成され その兵員は千葉県人を主体として東京埼玉山梨その他各府県出身者により構成されていた
その後聯隊は 北京保定附近の警備に任じ同年5月一部をもって徐州会戦に臨み 同年7月新たに編成された第27師団(極兵団)の基幹部隊として武漢攻略戦に参加し赫赫たる武勲を残し発祥の地北支に帰還し冀中及冀東海地区の警備討伐に任じ 昭和18年戦力培養のため満州国錦県に移駐した 翌19年再び中国戦線に出動 京漢作戦湘桂作戦に参加し転じて江西省在支米軍基地を覆滅しさらに広東省に進出し三南作戦江西作戦を闘い北上中 南昌南方地区におて総戦を迎えた この間将兵は 炎熱に加え酷寒を忍び峻嶮に挑み困苦欠乏を極めたなかに常に勇戦して聯隊の名誉を高めた 不幸戦歿した2,200余柱の英霊は故国の平和と繁栄を知ることなく今なお中国大陸の山野に眠っている
この尊い犠性こそ今日の日本の礎石であったことを銘肝し ここ郷土の地に碑を刻んて諸霊の冥福を祈る
昭和54年7月
支駐歩三会戦友一同
支那駐屯兵は、1936年、第一聯隊が佐倉聯隊区の兵員を補充担当として北平で、第二聯隊は東京聯隊区の兵員を補充担当として天津で編成された。1938年に、第一聯隊と第二聯隊から兵力を抽出して第三聯隊が編成された。第三聯隊の補充担当は甲府聯隊区だった。
日中戦争のきっかけとなった盧溝橋事件は、この支那駐屯兵が実際の戦闘に当たった。また、1945年の終戦まで、中国各地を転戦し、困難な作戦を成功させ成果をあげた。行軍のなか戦闘で斃れた兵士たちの無念はいかばかりだっだろう。日中戦争によって命を落とした全ての兵士、市民の冥福を心から祈るばかりだ。
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