
| タイトル | 進藤一馬氏像 |
| 作者 | 木戸龍一 |
| 設置場所 | 福岡市中央区 福岡市立美術館 |
| 製作年 | 1992 |
進藤一馬は1904年生まれの福岡市出身の政治家。4期14年にわたって福岡市長を務めた。
進藤は、旧制福岡中学校、早稲田大学を卒業後、中野正剛の秘書になる。1933年に中野が興したファシスト主義団体・国家主義政党である東方会に入会し総務部長となる。東方会は、当時、最もナチス・ドイツに近いファシズムの思想を持った日本の団体だった。その後、九州日報(現・西日本新聞)取締役を経て玄洋社社長となる。
玄洋社はアジア主義を掲げて結成された政治結社で、日本初の右翼団体と言われている。富国強兵・自由民権をその柱に据え、抑圧されたアジアの国々を欧米列強の支配から解放し、アジア諸国と連帯することで欧米と対抗することを主張した。進藤は、1944年に第10代社長に就任すると、1946年にGHQにより解散させられるまでの間、玄洋社の最後の社長を務めた。1945年12月2日にA級戦犯の容疑で逮捕され巣鴨プリズンに勾留される。戦犯容疑は不起訴となり釈放されるが、進藤は公職追放となる。
1958年に衆議院議員選に立候補して当選、以後、1度の落選はあるが、衆議院議員を4期務める。1972年に福岡市長選挙に立候補し当選。以後、4期14年を務める。市長としては、福岡市地下鉄を開通させ、市立美術館やこども病院を創立した。1972に政令指定都市になったばかりの福岡市の都市基盤を固めた。
1982年のこと。福岡市南区桧原の道路拡張工事のため、沿道の桜9本が伐採されることになった。これを残念に思った市民が進藤市長に宛てた句を詠んで樹に架けた。
花守り 進藤市長殿 花あわれ せめては あと二旬 ついの開花をゆるし給え
それが西日本新聞の記事になった。読んだ進藤市長は現地に赴き、道路拡張も実現しながら桜を守る方法を指示して桜並木の保全を実現した。市民は進藤を「花守り市長」と呼んだ。
方法は一つではない。例えば、進藤は市長として違う方法で日本やアジアの人々の命とプライドを守ることを目指したのかもしれない。思いは、消えることなく進藤の胸に滾り続けていたのではないだろうか。昭和の豪傑と言われたその風貌を模した肖像は、貫かれた信念を感じさせる。桜のエピソードの、進藤からの返歌は下記の通り。
桜花惜しむ 大和心のうるわしや とわに匂わん 花の心は 香瑞麻
「香瑞麻」は一馬。



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