
| タイトル | 人生劇場 青春立志の碑 |
| 作者 | 竹下登(書) |
| 設置場所 | 東京都葛飾区 経栄山題経寺 |
題経寺の境内に、尾崎士郎の文学碑が設置されている。尾崎士郎の代表作である「人生劇場」の主な舞台の一つが、ここ柴又だったことから碑が設置された。「人生劇場」は、愛知の没落した旧家から早稲田大学に進学した主人公・青成瓢吉が、侠客らと交わりながら成長していく青春小説。主人公が仲間たちと訪れた料亭が柴又にあった「川甚」をモデルにしており、江戸川べりも舞台になった。
碑文は下記の通り。この碑文は、尾崎士郎がその長男の俵士に宛てた生前の遺言で、1955年に書かれた。
人生劇場 青春立志の碑
遺す言葉
死生命ありだ。くよくよすることは一つもない。お前も父の血をうけついでいるのだから、心は弱く、涙にもろいかも知れぬが、人生に対する抵抗力だけは持っているだろう。あとは、千変万化だ。運命の神様はときどき妙な、いたずらをする。しかし、そこで、くじけるな。くじけたら最後だ。堂々とゆけ。よしんば、中道にして倒れたところで、いいではないか。見ろよ、高い山から谷底見れば瓜やなすびの花ざかりだ。父は爛々たる目を輝かして、大地の底から、お前の前途を見まもっていてやるぞ。
尾崎士郎
実際の俵士に宛てた文では、「よしんば、中道にして倒れたところで、いいではないか。」の後に「永生は人間にゆるされてはいない。父は地獄へゆくか極楽へゆくか知らぬが、」が入るが、この碑文では削られている。その理由はわからない。
尾崎士郎は1898年愛知県生まれ。1916年に早稲田大学高等予科政治科入学のため上京、翌1917年に早稲田大学に入学。学生運動に関わり3年次で除籍となる。早稲田大学雄弁会の先輩・石橋湛山の勧めで東洋経済新報社に入社。1923年に作家・宇野千代と結婚するも、1930年に離婚、12歳年下の古賀清子と再婚をする。1928年に出会った時、古賀清子は17歳のカフェ女給だった。1933年に自伝的小説「人生劇場」の新聞連載が開始、1935年に単行本を発売すると大ベストセラーとなり、映画化もされ、続編も次々と発表されていった。
1924年生まれの元内閣総理大臣・竹下登は、早稲田大学雄弁会で尾崎士郎の後輩にあたり、交流も深かった。その縁で、この碑文の揮毫を竹下登が務めた。
「くじけたら最後だ。堂々とゆけ」。心に沁みる。

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