「生麦事件碑」飯島吉六

2022.6 撮影
タイトル生麦事件碑
作者飯島吉六(彫刻)、中村正直(選文)
設置場所横浜市鶴見区 生麦一丁目交差点
製作年 1883

生麦事件は1862年に起こる。当時、欧米列強のアジア支配が進んでいた。1940年のアヘン戦争で中国はイギリスに敗れ、インド大反乱は1859年にイギリスに制圧されムガール帝国は滅亡してしまう。インドシナではフランスが力を伸ばしていた。日本にペリーの黒船がやってきたのは1853年で、翌年、アメリカとの不平等条約が結ばされた。

薩摩藩主の父である島津久光は、開国による混乱を収めるための改革案を幕府に提言した帰り道に、生麦事件を起こした。乗馬中のイギリス人4人が久光の行列と遭遇。言葉が通じないなかイギリス人たちは行列を突っ切り、それを咎めた久光の配下に斬られ、1名死亡、2名負傷ということになった。これが大問題となり、薩摩とイギリスの間の戦争が発生することになる。この地は、まさにこの生麦事件の現場だった。

(碑文)
文久二年壬戌八月二十一日英国人力査遜/殞命于此処乃鶴見人黒川荘三所有之地也/荘三乞余誌其事因為之歌々日
蹟 君流血号此海壖我邦変進亦其源強藩起号/王室振耳目新号唱民権擾々生死聴知聞萬
菖 国有史君名傳我今作歌勅貞珉君其含笑干/九原
 明治十六年十二月  敬宇中村正直 撰
      (裏)彫刻師 飯島吉六

【横浜市教育委員会】
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