
| タイトル | 生麦事件碑 |
| 作者 | 飯島吉六(彫刻)、中村正直(選文) |
| 設置場所 | 横浜市鶴見区 生麦一丁目交差点 |
| 製作年 | 1883 |
生麦事件は1862年に起こる。当時、欧米列強のアジア支配が進んでいた。1940年のアヘン戦争で中国はイギリスに敗れ、インドでは1859年にイギリスに制圧され、ムガール帝国は滅亡してしまう。インドシナではフランスが力を伸ばしていた。日本にペリーの黒船がやってきたのは1853年で、翌年、アメリカとの不平等条約が結ばされた。
薩摩藩主の父である島津久光は、開国による混乱を収めるための改革案を幕府に提言した帰り道に、生麦事件を起こした。乗馬中のイギリス人4人が久光の行列と遭遇。言葉が通じないなかイギリス人たちは行列を突っ切り、それを咎めた久光の配下に斬られ、1名死亡、2名負傷ということになった。これが大問題となり、薩摩とイギリスの間の戦争が発生することになる。この地は、まさにこの生麦事件の現場だった。なお、当時この地の近くで医療を行なっていた宣教師で、明治学院大学の創始者であるジェームス・カーティス・ヘボンも応急処置に携わった。
碑文は下記の通り。
(碑文)
文久二年壬戌八月二十一日英国人力査遜/殞命于此処乃鶴見人黒川荘三所有之地也/荘三乞余誌其事因為之歌々日
蹟 君流血号此海壖我邦変進亦其源強藩起号/王室振耳目新号唱民権擾々生死聴知聞萬
菖 国有史君名傳我今作歌勅貞珉君其含笑干/九原
明治十六年十二月 敬宇中村正直 撰
(裏)彫刻師 飯島吉六
【横浜市教育委員会】
AIによる現代語訳は、下記の通り。
文久2年(1862年)8月21日、英国人のリチャードソン(漢字表記:力査遜)がこの場所で命を落としました。ここは(当時、事件を目撃した)鶴見の住人である黒川荘三の所有地です。荘三が私(中村正直)にこの出来事を記録してほしいと乞うたので、私は彼のために歌を作り、次のように刻みます。
君、此の海壖(かいぜん)海辺に流血す:あなたは、この海辺の地で血を流して倒れた。
我邦の変進も亦其れを源とす:しかし、我が国(日本)が近代化へと大きく変化し進歩した根源は、まさにこの事件にある。
強藩起って王室振るい、耳目新に民権を唱う:この事件(とそれに続く薩英戦争)をきっかけに薩摩などの強藩が決起して皇室の威光が盛んになり、さらに人々の見聞も新しくなって自由民権が叫ばれるようになった。
擾々たる生死、誰か聞いて知らん:あの騒乱の中での生と死を、誰が深く理解できただろうか。
万国に史有り、君が名伝わる:いまや世界中の歴史にあなたの名(リチャードソン)は刻まれ、語り継がれている。
我今歌を作って貞珉(ていびん:固い石碑)に勒(きざ)む、君其れ九原(きゅうげん:黄泉の国)に含笑せよ:私は今、この歌を作って固い石に刻む。どうかあなたはあの世で、笑みを浮かべて安らかに眠ってほしい。
Geminiによる

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