
| タイトル | 陸奥宗光像 |
| 作者 | 藤田文蔵(初代)、山本豊市(二代目) |
| 設置場所 | 東京都千代田区 外務省 |
| 製作年 | 1907(初代)、1966(二代目) |
陸奥宗光は1844年生まれの武士、明治時代の外交官。紀州藩士の6男として生をうける。8歳のとき父が失脚し一家は困窮する。宗光は江戸に出て桂小五郎、高杉晋作、大村益次郎、西郷隆盛、福澤諭吉らと親交をもつ。1863年に勝海舟が興した神戸海軍操練所に入所、また、その後坂本龍馬率いる海援隊の一員となる。
明治維新後は新政府に出仕し、元老院審議官など政府の要職を務めるが、新政府に批判的な考えを持っており、西郷隆盛が主導した西南戦争に便乗して政府転覆を図り、発覚して投獄され、山形・仙台で5年間に及ぶ監獄生活を経験した。
恩赦により39歳で出獄すると伊藤博文の推薦で欧州に留学。帰国後は外交官として、日本初の平等条約である日墨修好通商条約をメキシコとの間で結ぶ。外務大臣就任後は日英通商航海条約を皮切りに、日本と不平等条約を交わしていた15カ国全てと条約を結び直し不平等状態を解消した。さらに、伊藤博文とともに全権として日清戦争後の下関条約に調印、日本に有利な条件を確保した。
子どもの頃から弁がたち、天才的な交渉力で明治日本の地位向上に決定的な働きをした。神戸時代の同級生は「嘘つき小次郎」と呼んだという。また外相時代の異名は「カミソリ大臣」。切れ味は良いが、使う側に実力がないと大怪我をするということ。伊藤博文はカミソリ使いの名手だった。
この陸奥宗光の銅像は外務省の前庭にあるもの。敷地外から撮影した。オリジナルは陸奥宗光没後10年を記念して1907年に藤田文蔵により製作された。戦時中の金属供出によりこの像は失われたが、頭部だけは切り取られて保管された。戦後の1966年に、この頭部を元に山本豊市により全体が再現され、改めて外務省に設置された。カミソリの異名が感得できるような、鋭さのある銅像。遥か明治が偲ばれる。



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