「日本郵船氷川丸」横浜船渠

2023.7 撮影
タイトル日本郵船氷川丸
作者横浜船渠 マーク・シモン🇫🇷フランス
設置場所横浜市中区 山下公園
製作年1930(就航)、1961(展示)
備考重要文化財

氷川丸は波乱の歴史を刻んだ貨客船。1930年に、今のランドマークタワーの敷地で操業していた横浜船渠で竣工。日本郵船の北米航路である横浜〜シアトル線に配船され、11年3ヶ月の間貨客船として運用された。当時の日本郵船の内装は英国様式が主流だったが、氷川丸は流行最先端のアールデコ様式を採用。左右対称の構造、モノトーンを基調したジグザグ模様や流線形、幾何学模様の内装が評判となった。内装を手掛けたのはフランス人デザイナーのマーク・シモン(1883〜1964)。氷川丸に洗練された空間を現出した。喜劇王・チャップリン、秩父宮両殿下、オリンピック誘致を狙った嘉納治五郎などがこの船に乗船した。

戦局の拡大に伴い1941年8月にシアトル航路は廃止され、氷川丸は逓信省に徴用される。まず引揚船として日本に住む外国人、アメリカに住む日本人を往復で運んだ。1941年11月に改装され12月から海軍特設病院船として南方戦線に従軍。終戦までの3年半の間、トラック、ラバウル、バクリパパン、ジャカルタ、サイパン、マニラなどに赴き3万人もの戦傷兵を内地に運んだ。従軍中、3度機雷に触れるが鋼板が厚かったため大破沈没をなんとか免れた。

戦後は約1年にわたって兵員引揚船としてウェーキ島、クサイ島、ウェワーク、ファウロ、ラバウル、基隆、モロタイ島、メナド、セラム島、ハルマヘラ、サルミ(ニューギニア)、ホーランデア(ニューギニア)、上海などから2万人近くの復員兵を運んだ。1946年8月からは一般邦人の引揚任務につき、葫蘆島、マニラから8,000人を運んだ。1947年にようやく貨客船として国内の定期航路に就航し、1953年からシアトル定期航路に復帰した。1960年に退役。1961年から「宿泊施設を兼ねた観光船」として山下公園に係留された。2016年に国の重要文化財に指定される。

観光船時代は宿泊施設やレストラン、水族館などが船内で営業していた。私も船内レストランで食事をいただいたことがあり、今も懐かしく思いだされる。現在は竣工当時の姿に近い形に復原され、往時の空気を感じながら船内を見学・鑑賞できるようになっている。

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