
| タイトル | 可美真手命像 |
| 作者 | 佐野昭 |
| 設置場所 | 東京都港区 浜離宮恩賜庭園 |
| 製作年 | 1894 |
説明プレートが添えられている。
可美真手命(うましまでのみこと)像
明治27(1894)年、明治天皇の銀婚式を記念して陸軍省が行った懸賞募集に選した作品で、佐野昭氏が制作、鈴木長吉氏が鋳造したと言われています。
佐野昭は1868年、明治維新の2年前に生まれた彫刻科。1876年工部美術学校の一期生としてラグーザの来日とともに入学。同期に大熊氏廣、藤田文蔵、菊地鋳太郎がいる。1882年に卒業すると新進彫刻家として明治美術会展や白馬会で活躍。第六師団戦勝記念碑などを製作する。また、皇居御造営事務局雇として皇居の装飾彫刻を担当、1895年に内匠寮技手、1899年に東宮御所御造営局技手となり、赤坂の東宮御所の装飾などを手がけた。同1899年にパリ万博臨時博覧会監査員にも就任。1900年に黒田清輝、久米桂一郎らと渡欧。欧州を歴訪し、彫刻調査、暖炉購入などを行った。1904年に退官後は、1920年着工、1932年竣工の国会議事堂の模型製作などを行った。
この作品は1894年の作品。皇居の装飾などを行なっていたキャリア初期の時期の傑作。コンペ形式で勝ち取ったようだ。佐野は公的な装飾彫刻がキャリアの中心で、第六師団戦勝記念碑も戦時中の金属供出で撤去されてしまったので、鑑賞できる作品が限られている。貴重なスポットだと思う。
鈴木長吉は1848年生まれの金工家。1874年に設立された起立工商会社の鋳造部監督、工長として大型の工芸作品を次々と製作した。1893年シカゴ万博に出展された「十二の鷹」と「「鷲置物」(ともに国重要文化財指定)はともに好評で、1896年に帝国技芸員として顕彰された。
可美真手命は物部氏の祖。神武天皇東征に際し、はじめ敵の長髄彦に従っていたがこれを裏切り神武に帰順して東征を助ける。可美真手命は長髄彦を討った時、10種の神宝を捧げ、矛と盾を立てて恭順を誓ったという。この像はその場面か。可美真手命は特に明治時代は軍神として崇敬された。
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