「京橋の親柱(明治)」

2026.6 撮影
2026.6 撮影
タイトル京橋の親柱(明治)
作者佐々木支陰(陰刻文字)
設置場所東京都中央区 銀座通り口交差点
製作年1875(築造)

江戸時代この辺りは東海道筋だった。ここにあった橋は、日本橋から京都に向かって東海道を上る時に初めて通る橋なので、「京橋」と呼んだという。京橋が初めて架けられたのは1603年で日本橋の架橋とほぼ同時期。江戸で擬宝珠を持つ橋は日本語、京橋、新橋の3橋だけであり、幕府にとっても重要な橋だった。なお、江戸期の京橋の周辺は木材加工の職人街だった。

1872年(明治5年)に銀座大火が起こり銀座は大きな被害を受け、その後煉瓦造りの街に変貌する。京橋もそれを機に1875年に木造の橋から石造りのアーチ橋に架け替えられた。この親柱はその当時・明治期のもの。均整がとれていて風格が滲み出るようなプロポーション。明治の活気が蘇るようだ。なお、「京橋の欄干柱」の現物は日比谷公園に残されている。その由緒書きを読むと、親柱も、欄干柱と一緒にこの地から撤去され、しばらくは日比谷公園にあったようだ。橋周辺の整備の後に親柱はここに戻された。欄干橋の方は日比谷公園に残され、現在も日比谷にある。ただし、「親柱」と「欄干柱」は呼び方が違うだけで同じものかもしれない。

明治期の京橋の親柱はこの地に2基置かれており、平仮名で「きょうばし」と彫られている柱は銀座一丁目交番付近にある。もう一基「京橋」と漢字で彫られている方は、2023年8月に見た時は警察博物館の前に設置されていたが、改めて2026年6月に見た時は警察博物館が工事中である道路を挟んで反対側に移設されていた。工事終了後に元の場所に戻るかはわからない。

2023.8 撮影
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