「ヘボン像」瀬戸団治

2023.9 撮影
タイトルヘボン像
作者瀬戸団治
設置場所東京都港区 明治学院大学白金キャンパス
製作年1966

ジェームス・カーティス・ヘボンは幕末から明治にかけて活躍した宣教師・医師・語学学者・教育者。1815年アメリカ生まれ。プリンストン大学を卒業後、ペンシルベニア大学医科に入学し医師免許を取得する。1845年にはニューヨークで医院を開業。当時ニューヨークではアジアコレラが蔓延しており、中国での伝導及び治療経験のあるヘボンの病院は大成功を収め富と名声を得る。しかし、それを投げ打って、1859年にキリスト教の北米長老派の宣教師としてヘボンは来日。長老派教会はプロテスタント・カルヴァン派の系統で、司祭などの教役者と一般信者から選ばれた長老が合議して教会運営するもので16世紀からの伝統がある。

ヘボンは妻クララと共に横浜に上陸。神奈川宿の成仏寺に寄寓し医療行為を開始。これが、神奈川県の西洋医療の始まりと言われている。その医療は全くの無償で行われた。1962年に神奈川宿近くの生麦で起こった生麦事件では負傷者の治療を行なった。

来日4年目の1863年に横浜の居留地に男女共学のヘボン塾を開設。ヘボンが医学を、クララが英語を教えた。教え子には高橋是清などがおり、有為な人材を輩出した。この学校は、のちのフェリス女学院につながっていく。

ヘボンは、伝導、治療、教育の場で日本語習得の重要性を実感し、辞書の編纂を目指すようになる。1867年に「和英の部」「英和の部」からなる「和英語林集成」が完成。これは、我が国初の本格的な和英辞典となる。第3版で、ヘボン式ローマ字表記を確立。ヘボン式は最も一般的に使われている表記で、2025年からは日本の正式なローマ字表記として使われている。

1874年に横浜に第一長老公会(現在の横浜指路教会)を設立。1877年に築地に東京一致神学校を開校し、これが1887年の明治学院の開校につながる。ヘボンはクララの病気を機に、1892年にアメリカに戻る。

ヘボンは、誠実で謙虚な人柄で知られる。ニューヨーク時代の富は日本の医療や教育のために惜しみなく費やした。ニューヨーク時代に子ども3人を続けて病気で亡くすなど逆境に立ち向かう精神力も備えていた。前例のない和英辞典の編纂を粘り強く成し遂げ、妻クララとの深い愛情で結ばれていたことも知られていた。どうして、こんな立派な生き方ができるのか。瀬戸団治の作像は、高い志を鮮やかに切り取っている。

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