
タイトル | ごじいんがはら跡 |
作者 | 不明 |
設置場所 | 東京都千代田区 錦三会児童公園 |
皇居の北東、東西線竹橋駅と都営地下鉄神保町・小川町に囲まれた中間ほどにこの錦三会児童公園があり、「ごじいんがはら跡」の石碑がひっそりと立っている。「ごじいんかはら」は「護持院ヶ原」と書く。かつてはここに護持院という真言宗の寺院があった。家康以来、徳川将軍の加持祈祷を行なってきた寺院で、綱吉の時に湯島からこの神保町に移転し、広大な敷地に護摩堂、祖師堂、観音堂などの大伽藍を配置した。
1717年の享保の火災で、護持院は一山残さず全焼した。時の将軍徳川吉宗は護持院の再建を許さず、焼け跡をそのまま広大な火除け地とした。この空き地によって江戸に頻発した火災の延焼を防ごうとしたのだ。この空き地は護持院ヶ原と呼ばれ将軍の放鷹の場、市民の遊観所として使われたという。護持院ヶ原は5万坪もあり、日比谷公園よりも広く、明治に入るまで一部を除き空き地のままだった。
明治時代が始まると、この護持院ヶ原の広大な空き地には、新しく幾つもの学校が創建された。学習院、開成学校(東京大学)、東京外国語学校などが設立され、東京商学校(一橋大学)も京橋区から移ってくる。護持院ヶ原は一大文京地区として歩み始める。
都会のど真ん中に、かつて、こんなにも広大な空っぽの空間があったことは心を躍らせる。
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