
| タイトル | 雑司ヶ谷鬼子母神堂 |
| 作者 | 不明 |
| 設置場所 | 東京都豊島区 雑司ヶ谷鬼子母神堂 |
| 製作年 | 1664〜1670 |
| 備考 | 重要文化財 |
雑司ヶ谷鬼子母神堂は、江戸時代に鬼子母神信仰の地として広く知られていた。徳川3代将軍家光は鷹狩りの際に立ち寄るなど、徳川家とは深い関係にあり、家光からは御朱印を賜った。8代吉宗も鷹狩りの際に立ち寄っている。国の重要文化財。
鬼子母神は子どもや妊婦を守る神。自ら、500人もの子どもを育てる母親だったが、自分の子のためにに他人の子どもを奪って食べる悪鬼だった。見かねたお釈迦様が、鬼子母神が最も愛する末子のビンガラを隠したところ半狂乱になり、お釈迦様に諭され、以後は子どもと妊婦の守り神になる。
国指定重要文化財
雑司ヶ谷鬼子母神堂
雑司が谷の鬼子母神は、永禄4年(1561)に清土(現在の文京区目白台)で掘り出された鬼子母神像を、 天正6年(1578)に現在の場所に堂を建てて安置したこ とにはじまる。寛永2年(1625)には社殿の造営が始まり、 正保3年(1646)には営殿が寄進された。江戸時代前期から将軍の御成りがあるなど、武家から庶民まで、子育 て・安産の神として広く信仰され、現在でも多くの参詣者が訪れている。
現在の鬼子母神堂は、手前から「拝殿」・「相の間」・ 「本殿」の3つの建物で構成される「権現造り」。本殿の開室供養は寛文6年(1666)に行われたことが記録にあるが、屋根裏の束にかれた墨書から、寛文4年に上棟されたことが判明している。拝殿と相の間は元禄13年(1700)に建てられた。広島藩2代目藩主浅野光晨の正室満姫の寄進により建てられ、その建築には広島から呼び寄せた大工が従事している。そのため、本殿の三方のを飾る梁や組物の彫刻には広島地方の寺社に用いられている建築様式が見られる。拝殿は、江戸時代中期の華やかな建物ではあるものの、装飾を簡素なものに変えるなど、幕府による建築制限令への対応をうかがわせる特徴がみられる。 これらのことから、江戸時代の大名家による寺社造営の実像を示す事例であり、本殿と拝殿とで異なる特徴を持つ建造物であることから、歴史的・意匠的に価値が高いという点が評価され、平成28年7月25日に重要文化財に指定された。
平成28年光豊島区教育委員会

雨に濡れてもしとやかに美しい。
権現造りとは、前部の拝殿と真ん中の相の間、後部の本殿からなる建築様式。

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