
| タイトル | 愛の母子像 |
| 作者 | 山本正道 |
| 設置場所 | 横浜市中区 港の見える丘公園 |
| 製作年 | 1985 |
説明プレートが設置されている。
愛の母子像
昭和52(1977)年9月27日、横浜市緑区荏田町(現青葉区荏田北)に米軍機が墜落し、市民3人(母と幼い子二人)が亡くなりました。
生前に海が見たいと願っていたことから、この公園に愛の母子像の寄付を受け設置したものです。
1977年9月27日、離陸直後にエンジン火災を起こし操縦不能となった米海兵隊の戦術偵察機RF-BファントムⅡが横浜市青葉区の住宅街に墜落し、住民9人が死傷する事故があった。このうち、3歳と1歳の男児の兄弟は全身火傷のため翌日の未明までに相次いで亡くなる。2人は、全身火傷の苦しみのなか、水を求めたが医療の判断でもらうことができず、3歳の長男は、「パパ、ママ、バイバイ」との言葉を最期に息が絶えた。次男ははとぽっぽの歌が最期の言葉になった。また、兄弟の母だった26歳女性も全身に火傷を負い、瀕死の重症を負う。女性の夫や父も含め、42人もの提供者から提供された皮膚により、70回にも及ぶ皮膚移植手術が行われ、懸命の治療とリハビリが行われた。
精神的なショックを受けた母に2児の死を伝えることは難しく、リハビリに励む母に事実が伝えられたのは事故の1年3ヶ月後だったという。兄弟の父である夫も精神的な苦痛を味わっていただろう、リハビリを巡って女性と関係が悪化し離婚に至る。
女性は事故後の精神的なダメージから回復することが叶わず、精神科単科病院に入院し、事故から4年4ヶ月後に心因性の呼吸困難のため亡くなった。
この港の見える丘公園の慰霊の像は、女性の父親ら遺族を中心に、横浜市に寄贈する形で1985年に建立された。はじめは横浜市の方針でタイトルのみの表示だったため、何の意味の像かわからないものだったが、21年後の2006年に当時の中田宏横浜市長の意向で簡潔なプレートが設置された。はじめに紹介したプレートである。
この事故に関連する慰霊碑は、横須賀市長沢、横浜市青葉区しらとり台にも建てられている。

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