「歌舞伎町弁財天記念碑」

2023.7 撮影
タイトル歌舞伎町弁財天記念碑
作者不明
設置場所東京都新宿区立歌舞伎町公園
製作年1963

現在の新宿・歌舞伎町は、かつては「大村の守り」と呼ばれる沼地だった。江戸時代は大村藩主の屋敷と湿地帯が広がり、明治時代は大村伯爵家の鴨場になった。その後、新宿の淀橋浄水場の建設に伴いその残土によって埋め立てられ平地となり角筈と呼ばれた。広大な敷地は江戸の質屋として資産を形成した峯島家により買い取られる。大村の守りには水の神である弁財天を祀ったお堂が立っていたが、埋め立てに伴いこの地で再建された。再建に伴い、上野不忍池の弁財天が勧進された。

峯島家当主の峯島喜代は、尾張屋銀行を創始するなど実業家として力を発揮した。また、喜代は「女性の社会進出に対する教育に寄与したい」との思いで多額の学校設立資金を寄付するとともに、角筈の土地を無償で貸与し、1920年に第五高等女学校が設立された。学校の周りは軍人や官僚、大臣などの邸宅も立ち並ぶ閑静な高級住宅街として発展した。しかし、1945年、アメリカ軍による苛烈な空襲により校舎は焼け落ち、角筈一帯は一面の焼け野原となった。

戦後の復興計画により、この地には大規模な劇場が誘致され、巨大な繁華街が広がっていった。現在、この歌舞伎町公園の周囲には大劇場や遊技場、多彩な飲食店が軒を連ねるほか、性風俗店なども犇めき、人間の限りない欲望が渦を巻く一帯となっている。この弁財天の像は戦後の1963の製作だが、お堂のご本尊は、沼地に響く水鳥の囀りも、幸せに満ちた女学生たちの歓声も、地獄のような空襲の焦熱と轟音、悲鳴も、苦界に沈んだ女性たちの明日のための祈りも、みな一身に受け止め慈悲を施していたんだなあと思う。

このお堂の前の弁天像は作者などは不明だが、欲に塗れた自分でも丸ごと赦してくれそうな優しさがあるようで、ふと涙が出そうになる。

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