「日本写真の開祖 写真家下岡蓮杖顕彰碑」

2023.1 撮影
タイトル日本写真の開祖 写真家下岡蓮杖顕彰碑
作者不明
設置場所横浜市中区 日本興和馬車道ビル
製作年1986

説明板が添えられている。

日本写真の開祖 写真師 下岡蓮杖(1823~1914)
伊豆下田に生まれる

 嘉永元年(1848)オランダから長崎へダゲレオタイプー式が渡来した。
 弘化2年(1845頃)狩野派の青年絵師が、銀板写真に遭遇し、そして絵筆を折り捨て写真術習得の道へ歩み出した。この青年こそ、日本に写真師という職業を確立した日本写真の開祖 下岡蓮杖その人である。
 蓮杖は、来日の外国人から湿板写真の機材を入手し、筆舌に尽くしがたい辛苦の歳月を経て、文久2年(1863)野毛に初めての写真場を開業し、その後、弁天通りに進出し、慶応3年(1867)太田町5丁目角地に「富士山」と「全楽堂」「相影樓」の看板を掲げた写真館を開き大繁盛をした。
 数多くの門下生を育て、我が国に於ける写真技術の先覚者として近代文化の発展に貢献した。その業績に敬意を表し、文明開化の地、馬車道通りに写真師発祥125周年、日本写真の開祖写真師下岡蓮杖顕彰碑を昭和62年(1987)建立をみたのである。

顕彰碑 下岡蓮杖顕彰碑建立実行委員会
碑文 横浜市写真師会設立百周年記念実行委員会

平成22年(2010)6月1日

下村蓮杖は、子どもの頃から絵が大好きで絵師を目指し、16歳の時に単身上京するも絵師になることができず挫折して3年で下田に戻った。1844年に狩野菫川にのもとにようやく弟子入りすることができる。1845年ごろ、仕事でとある屋敷(一説では薩摩藩下屋敷)を訪れた際、ダゲレオタイプの写真を見て衝撃を受け、これに人生を賭けようと思い立った。

ダゲレオタイプは、1823年にフランスのルイ・ジャック・マンデ・ダゲールによって発明された世界初の写真機。銅板に銀を塗って感光させるもので、複製はできない。

蓮杖は、なんとか写真の技術を身につけるべく、外国人に近づくために浦賀奉行の足軽となるが、ペリーの黒船来航に遭遇し、開港する下田でチャンスを狙おうと戻る途中で安政大地震に被災する。下田に戻っても、1859年には閉港してしまい、江戸に出る。江戸で写真家ジョン・ウィルソンと知り合い、ウィルソンの離日時に蓮杖の描いた風景画86枚と交換で、湿式写真機と機材一式を手に入れた。しかし、ウィルソンは親日的な人物ではなかったようで、技法や薬品の調合などを教えぬまま離日したという。ここから、また大変な苦労があったようだ。モニュメントの上部には、この写真機がデザインされている。

それにしても、馬車道には重厚な建物や街路樹の碑、アイスクリーム発祥に写真発祥、日本で初めてガス灯が灯ったのもここ。歴史の面白みを体験できる街区だ。

本名は久之助だったが、常に蓮の根を模った杖を持ち歩いていたので蓮杖と呼ばれるようになり、自らもそれを号とした。菫は蓮根を意味する。絵師として受け入れてもらった恩師・狩野菫川をいつまでも慕う律儀さのある人物だった。

パブリックアート散歩 - Google マイマップ
ブログ用地図

コメント

タイトルとURLをコピーしました