「太陽の母子(アイスクリーム発祥の地)」(1869〜)本郷新

2023.1 撮影
タイトル太陽の母子(アイスクリーム発祥の地)
作者本郷新
設置場所横浜市中区 アートビル(馬車道)
製作年1976
発祥年1869

1500年代にヨーロッパで冷却技術が開発され、アイスクリームも作られたが、工業化され大量生産されるようになったのはアメリカ大陸でのことだった。1846年にアメリカの主婦ナンシー・ジョンソンにより手回し撹拌機が発明され、1851年にはメリーランド州の牛乳屋ヤコブ・フッセルが世界初のアイスクリーム工場を作った。

日本人で初めてアイスクリームを食べたのは1860年に咸臨丸でアメリカに渡った遣米使節団といわれている。勝海舟や福澤諭吉、ジョン万次郎など咸臨丸のメンバーが到着したのはフッセルが工場を作った9年後。アメリカでもアイスクリームはまだまだ珍しかっただろう。諭吉もアイスクリームを食したという記録が残っている。

この咸臨丸のメンバーの1人である町田房蔵が、アメリカでアイスクリームの製造技術を学んだ出島松蔵から製法を聞き、1869年に横浜でアイスクリームを販売した。これが、日本のアイスクリームの発祥とされている。「アイスクリン」と名付けられた。

出島松蔵は1842年静岡県生まれ。16歳の時に横浜に出て、横浜で輸入品を扱っていた米国人ソーヨの店で働く。アメリカへの興味が抑えきれず、出島はソーヨに頼みこんで帆船の船底に潜み、当時の禁制を破りアメリカに密出国した。アメリカではソーヨの助手として働きながら農業にも従事し、酪農や牛乳の加工も身につけた。出島は7年間アメリカで働いたが、咸臨丸メンバーが訪米した時に福澤諭吉の通訳として協力し、福澤の計らいで日本に戻った。

横浜で発売されたアイスクリームは高価で敬遠されたが、翌1870年に初夏の伊勢山皇大神宮の縁日で供された時は大好評を博した。天皇陛下にも献上されたという。

なぜ本郷のこの作品なのかはわからない。

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