
タイトル | 納骨堂 |
作者 | 不明 |
設置場所 | 東京都東村山市 国立療養所多磨全生園 |
製作年 | 1935年(建立)、1986年(再建) |
1873年に、ノルウェーのハンセン医師が、らい病がらい菌による感染症だと明らかにし、以後、この病気はハンセン病と呼ばれる。日本では徹底的な隔離政策がとられ、1907年に「癩予防ニ関スル件」が制定されると全国に13ヶ所のハンセン病の国立療養所が作られた。1929年には「無らい県運動」が全国的に展開され、ハンセン病患者は悉く療養所に入所させられた。
療養所では、お金を没収され、名前も変えられ、強制労働もさせられ、子孫が残せないように断種手術も行われた。逃げることもできず、強い意見を言うと懲罰房に入れられ衰弱死することもあった。これは、患者を患者として扱わない極めて非人道的なことだと思う。だって、ただ感染症に感染しただけである。誰だってその身に起こりうることだ。
さらに、1943年にハンセン病の特効薬・プロミンが開発され、良い薬が次々と出てハンセン病患者の多くが回復したにもかかわらず、法律を改正することなく隔離は続けられた。なお、ハンセン病は極めて感染力が弱く、100年以上の療養所の歴史で56,575人の患者が入所したが、日常的に接していた医師、看護師でハンセン病に感染した人は一人もいない。栄養不足かつ、乳幼児期の濃厚な接触により感染する場合があると言われている。
「らい予防法」は1996年にようやく廃止され、ハンセン病元患者の方々は隔離から解かれ、自由に退所することができるようになった。しかし、長年の偏見が根強く、故郷に帰れない人も多かった。
ただ感染しただけなのに人として尊重されず、回復しても、法律がなくなっても、偏見の鎖を断ち切ることができない。何という無情だろう。この納骨堂には骨になっても故郷に帰れなかった2,400人あまりの遺骨が納められている。
私は、全国の5つの療養所を訪ねたことがあり、元患者の方の幾人ともお話をしたことがある。去来する想いを抱えて、今日もまた手を合わせる。
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