「東京大学発祥の地」(1877〜)

2023.1 撮影
タイトル東京大学発祥の地
作者不明
設置場所東京都千代田区 学士会館
製作年1991
発祥年1877〜

東京大学は、明治政府により1877年に設立された官立大学で、当時の唯一の大学。東京大学は開成学校と東京医学校が合併して発足した。

開成学校は、明治初期の洋学の専門学校で、初期開成学校と後期開成学校に分かれる。初期開成学校は1868年から1870年に運営されていた学校。1811年に、圧力を強めていた外国に対抗するため幕府は蛮書和解御用を設置、1854年にはそれを拡充し洋学所を開設、1857年には蕃書調所を設立、1862年に、洋書調所として、ここ護持院ヶ原に移転する。1863年に開成所と改称するが明治維新で廃校になる。これを復興したのが初期開成学校である。

後期開成学校は大学南校が源流で、昌平坂系の学校。昌平坂の学問所(大学本校)が国学を学ぶ場だったのに対し、初期開成学校の跡地に発足した大学南校は洋学を学ぶ学校であり、1871年にこの大学南校が開成学校と改称された。

東京医学校は、幕府の医学所がその源流にある。明治政府が御徒町(湯島)にあった医学所を接収し、「医学校」として設立、「大学東校」の改称を経て、「東京医学校」の名称となる。1876年に本郷の旧加賀藩藩邸跡地に移転。これが本郷キャンパスの始まりとなる。1877年に当地・護持院ヶ原にあった開成学校と合併して東京大学が発足する。ここは東京大学発祥地だが、医学部はここに来ることはなかった。

政府は、開成学校と東京医学校、国学を中心とした昌平坂学問所から改称した「大学」の3校を合併しようとしていたが、明治に入り旧昌平坂の学者の内紛などから「大学」本校での講義が中止となり、「大学」はそのまま廃校となった。

東京大学発祥の地となった護持院ヶ原は、享保年間の火災で焼失した寺院の跡地で、吉宗の指示により、広大な火除け地として空き地が維持されていた。この空き地が多くの学校の発祥の地となった。

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