
タイトル | 手古奈 |
作者 | 北村四海 |
設置場所 | 東京都港区 慶應義塾大学三田キャンパス |
製作年 | 1909 |
北村四海は日本で初めて大理石彫刻を作った彫刻家として知られる。四海は1871年長野県長野市出身。養父は宮彫師・北村正信(三代目)。上京して島村俊明、小倉惣次郎、新海竹太郎らと親交を結ぶ。1900年に渡欧。パリに留学して大理石による西洋彫刻を学び、1902年に帰国後、ブロンズの対抗となる大理石の彫刻を製作した。
北村 四海(1871-1927)
手古奈
1909年頃
大理石
日本における大理石彫刻の先駆者・北村四海による近代日本最大規線の大理石彫刻。「手古奈」とはいわゆる「真間(現在の市川市真間)のてこな」であり、自らに求婚する男たちが争うのを悲しみ入水したという万葉集に見える女性。四海は小幡篤次郎、門野幾之進など慶應義塾関係者の肖像を多くてがけており、現在もその作品が学内に点在する。
この作品は明治42(1909)年の第3回文展に出品された大作で、慶應義塾創立50年を機に建設された図書館の建設に合わせて四海から慶應義塾に寄贈され、図書館1階の階段ホールを飾った。図書館が1945年5月25日の空襲で被災したのにともない両腕を失うなど大きく破損。像はその後長らく学内倉庫に放置され半ば忘れられていた。2004年より数年かけて修復され、創立150年記念〈未来をひらく福澤諭吉展〉(2009年於東京国立博物館/福岡市美術館/大阪市立美術館)で、六十余年ぶりに公開された。修復にあたっては、空襲での被災という歴史も含めてこの像を展示するという方針を受け、焼夷弾の煤などの痕跡を残した洗浄方法がとられた。
なお、四代目・北村正信は三代目正信の外孫で四海の養子。旧姓は虎井で幼名を友吉と言った。四代目正信も大理石の名手。私は、正信はブロンズなら千鳥ヶ淵緑道でみたが、たいへん美しかった。
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