「リチャード・ヘンリー・ブラントン」澄川喜一

2022.7 撮影
タイトルリチャード・ヘンリー・ブラントン
作者澄川喜一
設置場所横浜市中区 横浜公園
製作年1991

リチャード・ヘンリー・ブラントンは、1841年にイギリスのスコットランドで生まれる。鉄道技師として働いていたが、1868年に、日本政府の灯台技師募集に応募して採用され来日した。この1868年は、2月に江戸城が陥落し、慶応から明治に改まった年である。新政府の動きは素早かった。

ブラントンは妻子と助手2人を伴い来日すると、滞在した7年6ヶ月の間に全国各地に26の灯台を建造し、その多くは今も活用されている。また、犬吠埼灯台など7灯台が重要文化財に指定されている。

この他、東京・築地〜横浜の日本初の電信架電、横浜・日本大通りの西洋式舗装、横浜の下水道敷設もてがけ、鉄道や港湾整備の意見書を提出したりもした。

この肖像彫刻が立つ横浜公園もブラントンの設計によるもの。今は横浜スタジアムも入り、各種イベントでは多くの市民が集う。

彫刻製作は澄川喜一。「反りとむくり」を生かした抽象彫刻で力を発揮したが、具象を手がけても流石に素晴らしい。今にも語り出しそうな人間味がある。

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