「ブラントンと横浜」

2023.1 撮影
タイトルブラントンと横浜
作者不明
設置場所横浜市中区 伊勢佐木町入口交差点

碑文は下記の通り。

[ブラントンと横浜]

明治元年(1868年)政府の招聘により来日したブラントンは、開国にともない、日本沿岸各地に灯台を建設する一方、8年間にわたり活動の拠点としていた横浜では、日本大通りや横浜公園の設計を行うなど、近代的なまちづくりに大きな足跡をのこしました。

横浜居留地測量 1858〜70
電信敷設 1869
新橋・横浜間の鉄道意見書 1869
吉田橋(鉄の橋)架設 1869
居留地 下水道整備・マカダム式道路舗装・街路照明計画 1869〜71
水道計画 1870
築港計画 1870、73、74
新埋立居留地造成計画・施工 1871
中村川拡幅等設計・施工 1871
日本大通り設計・施工 1871
修技校開校 1871
横浜公園設計・施工 1871、72

横浜居留地地図 ブラントン 実測 1870年

ブラントンは明治元年にあたる1868年に灯台の設計技師として来日し、7年6ヶ月の滞日期間の間に26台の灯台、7台の灯竿、2台の灯船を設計、建設指揮をしたほか、本拠としていた横浜でも碑文のような驚くべき仕事量をこなした。このほか、大阪港や新潟港の築港計画にも関わるなど、国からの依頼にも応えた。

ブラントンを誇らしく讃える碑が、ひっそりとここに立っている。

パブリックアート散歩 - Google マイマップ
ブログ用地図
タイトルとURLをコピーしました