
| タイトル | 千葉県出身陸軍少年飛行兵慰霊之碑 |
| 作者 | 不明 |
| 設置場所 | 千葉市中央区 千葉公園隣接地 |
| 製作年 | 1972 |
陸軍少年飛行兵の慰霊碑。
平和の翼(由来)
戦火絶えて27年。いま、私達の胸に去来するものは、大空に憧れ、大空に生き、そして大空に散って行った君達のあの林檎のような頬っぺと澄みきった眼差しだ。今日の平和な日本の繁栄は君達の尊い尊い死によって築かれたものなのだ。
若くして大空の華と散った君達の至純な姿を忘れぬために、再び戦争を繰り返さぬことを誓いながら、私達は「平和の翼」の碑を此の地に建てた。
亡き友よ、安らかに眠り給え。そして、愛する日本を、美しい郷土を、永久に護り給え。
昭和47年8月
元陸軍少年飛行兵 千葉県出身 生存者一同
陸軍少年飛行兵は、徴兵によらず自らの志願で従軍し、飛行機の操縦および整備に従事した10代の少年兵のこと。1933年に成立した「陸軍飛行学校ニ於ケル生徒教育ニ関スル件」という法律により制度として始まった。軍内部または一般から募集し、操縦生徒は満17歳以上19歳未満、技術生徒は満15歳以上18歳未満に限り試験を受けることができた(軍内部からの場合は満20歳未満)。学歴などは問われない。
第1回の召募では、操縦生徒70名、技術生徒100名が合格したが、操縦生徒が約48倍、技術生徒は約64倍という超難関だった。日本が戦争への道を歩むにつれ、少年飛行兵の枠は拡大し、戦争末期は陸軍航空戦力の中核をなす兵士数になった。1934年2月の第1期から、1945年の第20期までの11年半で、少年飛行兵の数は計45,265名にのぼった。
晴天、曇天、茜雲、雨、雪、虹、そして刺すような閃光。どんな空を目に焼きつけて少年たちは散っていったのだろう。若くして命を落とした少年兵たちにかける言葉はなかなか見つからない。ただ、合掌し、その冥福を祈る。
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