
| タイトル | ジョサイア・コンドル |
| 作者 | 新海竹太郎 |
| 設置場所 | 東京都文京区 東京大学本郷キャンパス |
| 製作年 | 1922 |
とてもスマートで美しい全身像。新海竹太郎の美学が遺憾無く発揮されている。また、明治の日本の建築界に新しい風を吹き込んだコンドルの颯爽とした姿が心に焼きつく。説明板は下の通り。
ジョサイア・コンドル Josiah Conder
1852〜1920
ロンドンに生まれ、建築学を学び、1876年に日本政府と5年間の雇用契約を結んで、翌77年に来日した。工部大学校造家学の教師となり、最初の教え子として辰野金吾や片山東熊らを輩出。建築教育に従事する傍ら、上野博物館、鹿鳴館、東京大学法文科校舎など、本格的な西洋建築を相次いで設計した。86年に工科大学造家学科講師に転じ、88年に辞任、建築事務所を構えて設計の仕事に力を注いだ。わが国の建築学に確固たる出発点を与えたことは不滅の業績といえる。
来日後すべての設計活動を日本で行い、1920年に没した。
この像を製作した新海竹太郎は、1868年に山形県の仏師の家に生まれた。1888年に近衛騎兵大隊に入営し軍人を志望したが士官試験に落第する。この時、余暇で彫った馬を上司の北白川宮親王に褒められ彫刻家を目指すようになる。除隊後は後藤貞行に師事。上野の西郷像にも助手として関わったようだ。1896年に軍から依頼され、元上司の北白川宮能久親王の騎馬像を製作、1898年に原型を完成させる。
1900年のパリ万博を期に渡欧、ドイツではエルンスト・ヘンテルに師事して彫刻を学ぶ。1902年に帰国し、創設された太平洋画会に参加。1904年に太平洋画会研究所が立ち上げられると彫刻科主任として学生を指導、朝倉文夫、中原悌二郎、堀進二、甥の新海竹蔵など、錚々たる彫刻家を育てた。新海彫刻は、日本彫刻の伝統と西洋彫刻の真髄を融合させた、ロマン溢れる作風。力のある作品を多数生み出した。
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