
| タイトル | 島野武氏之像 |
| 作者 | 盛岡公彦 |
| 設置場所 | 仙台市青葉区 仙台市博物館 |
| 製作年 | 1987 |
島野武は、仙台市長を7期26年務めた政治家。島野家は、伊達政宗以来の藩士の家柄で、先祖は納戸奉行なども務めた大番士。島野の父は陸軍軍人となり、大佐の任を果たす。武は福岡で生まれるが、父の退役後に仙台に移り住む。
島野は東京帝国大学に入学するが、左翼思想に傾倒し、全国学生社会科学連合会の委員長となる。また、共産主義青年同盟にも参加、治安維持法により逮捕・起訴され、保釈となるが、東京帝国大学は中退となる。その後は弁護士を目指す。1930年に試験に合格して弁護士となり、治安維持法で逮捕された被疑者の弁護などを行った。
島野は1955年に左右社会党の推薦を受けて仙台市長選挙に立候補。落選するが、開票作業に不正があったとの訴えがだされ、1957年の最高裁判決により選挙は無効となり、再選挙が行われた。島野はこの選挙に勝って第19代仙台市長となる。
島野は「ほほえみの市長」と呼ばれ、市庁舎の開放を行うなど、市民に開かれた市政を行った。在任期間中に、下水道の整備や、市電を廃して地下鉄を導入するなど都市基盤の整備を行うとともに、八木山動物園、プラネタリウムなどの文教施設も整えた。
島野の26年は、仙台に新しい風を巻き起こした。7期目在任中に急逝。79歳の生涯だった。
碑文は下記の通り。
時代は人を包み人はまた時代を築く
終戦後の中国で生涯を郷土仙台のために捧げようと誓った島野武は昭和33年第19代仙台市長に選出された
以来7期26年9カ月にわたって仙台の発展に全力を尽くした健康都市言言に象徴されるように市民優先・市民参加を横糸とし 市民のための施策を縦糸として全国に誇る明るく住みよい・杜の都仙台を織りなした また、地下鉄の建設・政令指定都市への取り組みなど 終生大仙台100年の計に限りない熱を傾注したその達見と実行力は島野スマイルと共に永く市民の心に銘されるであろう
ここに氏にする市民の深い敬慕の念に浄財を募り胸像を建てて永く仙台の歴史に印すものである
昭和62年11月6日
前仙台市長島野武顕彰会
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