「新川之跡」

1851
タイトル新川の跡
作者不明
設置場所東京都中央区 新川公園
製作年1953

碑文はこうなっている。

新川之跡 
萬治3年(1660) 河村瑞賢傳開鑿此地
昭和23年(1948) 以戰災焦土埋之

説明板は次の通り。

新川の跡
所在地 中央区新川一丁目地域

新川は、現在の新川一丁目3番から4番の間で竜島川から分岐し、この碑の付近で隅田川に合流する運河でした。規模は延長約590メートル、川幅は約11メートルから約16メートルと、狭いところと広いところがあり、西から一の橋、二の橋、三の橋の3つの橋が架かっていました。
この新川は、豪商河村瑞賢が諸国から船で江戸へと運ばれる物資の陸揚げの便宜を図るため、万治3年(1660)に開さくしたといわれ、一の橋の北詰には瑞賢が屋敷を構えていたと伝えられています。当時、この一帯は数多くの酒問屋が軒を連ね、河岸にたち並ぶ酒蔵の風景は、数多くのさし絵や浮世絵などにも描かれました。
昭和23年、新川は埋め立てられましたが、瑞賢の功績を後世に伝えるため、昭和28年に新川史跡保存会によって、「新川の碑」が建立されました。

平成6年3月
中央区教育委員会

河村瑞賢は江戸時代の豪商。1618年に三重県の貧しい農家に生まれる。13歳で江戸に奉公にあがる。明暦の大火の際の木材の買付などで資産を増やした。幕府の命で外界東廻りルートや西廻りルートなどの新たな輸送航路を開発し、日本全国の産業振興と商品の輸送に画期的な進歩をもたらした。また、生涯をかけて治水に尽力し、大阪淀川の大規模な土地改良など全国各地の河川を整備した。

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