「絹の舞」

2023.1 撮影
タイトル絹の舞
作者不明
設置場所東京都八王子市 JR八王子駅北口
製作年1999

この八王子駅前のモニュメントは、八王子城のイメージをベースに、七色で彩った「八」の字をコラージュしたもの。かつて、八王子は絹の一大集積地で、この駅前の橋はマルベリーブリッジ(桑の橋)、モニュメントは「絹の舞」と名付けられている。説明板が設置してある。

マルベリーブリッジと絹の舞

「桑都」とは、八王子の美称で、かつて西行法師が詠んだと伝わる 「淺川を渡れば富士の影清く 桑の都に青嵐吹く」に由来する。
 八王子城主北条氏照は、南関東隋一の八王子城を天正年間に築き、八王子の基礎を開いた。
 室町時代には、滝山紬を産し、天正18年(1590)、八王子 総奉行の大久保石見守長安の采配により、横山、八日市、八幡の 三宿が、現在の市街地に移転し、江戸時代には毎月6回の定期市が 開かれ、八王子織物の流通が活況を呈した。
 また、幕末から明治にかけて八王子は、横浜への要所となり、いわゆる「絹の道」を通してヨーロッパへの輸出用生糸が運ばれ、織物 のまちとしての歴史的遺産を今に伝えている。
 八王子駅北口整備事業の推進にあたり、先人たちが歩んできた 織物のまちの伝統を21世紀へと継承するため、この地にあった 「織物の八王子」のシンボルタワーに代わって、マロニエのシンボルロードに続くこの橋を「マルベリーブリッジ(桑の橋)」と命名し、八王子城を模した塔に明日を開く「絹の舞」を飾った。
 これは、未来に向かって、八王子が力強く飛揚する夢を託した ものである。

平成11年12月吉日 八王子市

八王子は、もともと江戸時代から生糸や織物の産地だったが、明治に入り外国との貿易が盛んになると、近郊の多摩、青梅あたりだけでなく、山梨や長野、群馬などからも絹が八王子に集まり、横浜港へと向かう絹の道が形成された。そのころは、八王子市街のほとんどが織物工場になったという。

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