「銅造釈迦如来像」大田久右衛門

2023.1 撮影
タイトル銅造釈迦如来像
作者大田久右衛門
設置場所東京都台東区 護国山天王寺
製作年1690

江戸時代から建つ穏やかな大仏様。

元禄時代には大仏の建造が相次いだ。この天王寺大仏は元禄3年に完成。元禄5年には奈良東大寺の大仏の修復が終わり、元禄6年に浅草寺大仏、元禄7年に四谷大仏、元禄10年には愛知の興正寺の大仏、元禄16年には千葉の駒形大仏が完成する。元禄は、様々な文化が花開いた時代。大仏様もその文化興隆の潮流を受けたのだろうか。

元禄の大仏建造ラッシュの先陣を切ったこの天王寺大仏は、印相を結ぶことなくただ合掌している。祈りの真心が伝わるようだ。謙虚なお姿が心に染みる。

銅造釈迦如来坐像(台東区有形文化財)
台東区谷中7丁目14番8号 天王寺

 本像については、『武江年表』元禄3年(1690)の頃に、「5月谷中感応寺丈六仏建立、願主未詳」とあり、像背面の銘文にも、制作年代は元禄3年、鋳工は神田鍋町に住む大田久右衛門と刻まれている。また、同銘文中には「日遼」の名が見えるが、これは日蓮宗感応寺第15世住持のことで、同寺が天台宗に改宗して天王寺と寺名を変える直前の、目運宗最後の住持である。
 昭和8年に設置された基壇背面銘文によれば、本像は、はじめ旧本堂(五重塔跡北方西側の道路中央付近)右側の地に建てられたと
いう『江戸名所図会』(天保7年〔1836〕刊)の天正寺の頃には、本堂に向かって左手に描かれており、これを裏付けている。明治7年の公営谷中墓地開設のため、同墓地西隅に位置することになったが、昭和8年6月修理を加え、天王寺境内の現在地に鉄筋コンクリート製の基壇を新築してその上に移された。さらに昭和13年には、基壇内部に納骨堂を増設し、現在に至る。
なお、「丈六仏」とは、釈迦の身長に因んで1丈6尺の高さに作る仏像をいい、坐像の場合はその2分の1の高さ、8尺に作るのが普通である。
 本像は、明治41年刊『新撰東京名所図会』に『唐銅丈六釈迦』と記され、東京のシンボリックな存在「天王寺大仏」として親しましれていたことが知られる。
 平成5年に、台東区有形文化財として、区民文化財台帳に登載された。

平成8年3月
台東区教育委員会
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