「聶耳(ニエアル)記念碑」

2022.7 撮影
タイトル聶耳(ニエアル)記念碑
作者菅沼五郎(レリーフ)
設置場所神奈川県藤沢市 鵠沼海岸聶耳記念広場
製作年1954(記念碑建立)、1965(再建)、1986(レリーフ建立)

聶耳は、1912年に、中華民国政権下の雲南省昆明に生をうける。作曲家として若くして才能を発揮する一方、左翼思想に傾倒し中国共産党に入党する。当局からの摘発を恐れ、聶耳は兄を頼って日本にわたる。1935年のことだった。聶耳は日本滞在中に、抗日映画「風雲児女」の主題歌を作曲する。これが、後に中華人民共和国の国歌となる「義勇軍進行曲」である。

聶耳は1935年7月17日に藤沢市の鵠沼海岸で遊泳中に溺死する。まだ23歳の若さだった。前途ある若者の遭難を悼んだ藤沢市民により、1954年、鵠沼海岸に聶耳の記念碑が建てられた。1958年に台風により一部が流されてしまうが、1965年に再建される。1986年には菅沼五郎の手によるレリーフも製作された。毎年7月17日の命日には、藤沢市民が中心となり碑前祭が執り行われる。中華人民共和国の公使も参加し、藤沢市消防音楽隊により「義勇軍進行曲」が演奏される。

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