「水崎基一先生像」

2022.9 撮影
タイトル水崎基一先生像
作者不明
設置場所横浜市神奈川区 浅野中学校・浅野高等学校

水崎基一は1871年生まれ、長野県出身の経済学者、教育者。父の転勤で静岡に移住し、そこでキリスト教に触れ入信する。そのころ、新島襄により京都に同志社が設立されたことを知った水崎は1888年に単身上洛し、同志社大学の前身となる同志社普通学校に入学し新島襄に直接教えを受ける。その後、北海道の監獄の教誨師となる。1899年にイギリスに留学し、政治・経済・歴史を学び、1902に浅野總一郎らが設立した東洋汽船に入社する。東洋汽船では、浅野の秘書として信望が厚かった。

その後、水崎は同志社に戻る。新島㐮の没後、力を失っていた同志社の再建と大学化に尽力し、1912年に同志社大学およひ女子専門学部の設立を実現する。同志社を辞した水崎を浅野總一郎が招聘し、私財を投じた私立学校を1920年に設立、初代校長に水崎が就任した。水崎の生涯の最後の18年は「実学」を培う綜合教育の学びやを育てあげるために費やされた。「愛と和」がその座右の銘だった。授業の際には、新島㐮が乗り移ったように涙を流しながら博愛を説いたこともあったという。

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