「林子平の碑」阿部正基

2023.5 撮影
タイトル林子平の碑
作者阿部正基
設置場所仙台市青葉区 仙台市博物館
製作年1968

碑文は下記の通り。

林子平名を友直、六無斉と号し仙台の川内に住み寛政の三奇人のひとりで憂国の先覚者であり早くから海防のことを力説した。全国を行脚して実際に見聞を広め「海国兵談」や「三国通覧図説」を著し、外国の事情と日本の国防の必要を説いているが、特に三国通覧図記は1785年子平が48才の時の著述で、その中には小笠原群島の発見の史実が記されている。即ち小笠原群島は1593年既に小造原貞頼が発見して日本領土として標示を立て小笠原島とがしたことを明記している。この三国通覧図説にその後1832年ドイツ人クラプロートによって、パリーで佛訳三国通覧図説として翻訳刊行された。この本が唯一の資料となって英国、露国、米国をはじめ、世界各国から小笠原群島は日本領土として確認されたのである。
小笠原群島は、昭和43年(1968年)第二次世界大戦後23年ぶりでアメリカがら日本に返還されたことを考えると、林子平の偉大な功績が偲ばれる。
林子平は世界の情勢に暗い当時の幕府から世を惑わすものとして版木を没収禁固され国を憂いながら56才で没した。その籠居中の詠草に「親もなし妻なし子なしはん木なしかねもなければ死にたくもなし」がある。墓は仙台市子平町竜雲院内にあり、そばに林子平の考案した「日時計」がある。
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