
タイトル | 東京経済大学発祥の地 |
作者 | 不明 |
設置場所 | 東京都港区 虎ノ門ツインビルディング |
製作年 | 1990 |
発祥年 | 1900〜 |
碑文は下記の通り。
東京経済大学発祥の地
1900年 この地に大倉商業学校開校
1920年 大倉高等商業学校となる
1945年 戦災により校舎焼失
1946年 国分寺市(当時国分寺町)へ移転
1949年 東京経済大学となる
1990年10月 東京経済大学
東京経済大学は、大倉財閥の総帥・大倉喜八郎により創設された。大倉は創立の趣旨を下記のように述べている。
条約改正が実現し、内地雑居が近く行われる。しかしわが国の商業者の知識は昔と変わらない。このままで進むと対等条約と内地雑居の実施の結果、わが国の商業界は外国人に独占されることになろう。自分が外国に支店を設けて有為の青年を派遣してきたのは外国人に対抗するためである。そこで、自分の還暦と結婚満25年を記念して、商業学校を設けて多数の商業者を育成し、世のために尽くしたい。
(Wikipediaより引用 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/東京経済大学)
大倉喜八郎は1837年に新潟県の新発田市(現)に生まれる。実家は元は農家だったが商家として生計を営み、質屋なども運営していた。1951年に狂歌仲間を頼り江戸に登る。初め塩商い、その後乾物商として暖簾をあげる。黒船を見たことを契機に乾物屋を畳み、1567年に大倉鉄砲店を開業。誠実な商売をしたため政府に信頼され、新政府軍の兵器糧食の用達となり、また、1871年からは鉄砲火薬免許商として諸藩から不要武器の払い下げも扱うようになる。奥州征伐、西南戦争、台湾出兵と、大倉は武器商人として大活躍した。
その後、建設、貿易、繊維産業、ホテル業など幅広く商売を広げ、財閥を形成するに至った。その大倉喜八郎の教育への思いがこもった大倉商業学校が設立されて100周年を記念する碑である。
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