「旧有章院霊廟二天門」片山三七郎平満國

2022.9 撮影
タイトル旧有章院霊廟二天門
作者片山三七郎平満國
設置場所東京都港区 ザ・プリンスパークタワー東京
製作年1717
備考重要文化財

有章院霊廟は7代将軍徳川家継の霊廟。家継は、1712年に満3歳(数え5歳)で将軍になり、満6歳(数え8歳)で亡くなった。利発な将軍だったという。その霊廟は、本殿、奥の院ほか、20にもわたる門や宝塔などを備えた本格的なものだった。1945年5月の空襲でほとんどの設備が焼け落ち、この二天門と宝塔だけがわずかに被災から免れた。

この二天門は、三間一戸八脚門、切妻造、銅瓦葺。日光にある3代家光廟や上野寛永寺の5代綱吉廟、狭山に移築された2代秀忠廟の3門などは元禄文化の影響を受けた絢爛豪華な門であるが、家継のこの門はシンプルで安定感があり、品も良い。造営を指揮した8代吉宗の志向もあったのだろう。

霊廟は、初代家康と3代家光は日光、2代秀忠と6代家宣、7代家継は増上寺、4代家綱と5代綱吉は寛永寺に作られた。吉宗が御霊屋建立禁止令を発令したため、この有章院霊廟を最後に、徳川家の霊廟はつくられなかった。吉宗自身の墓所も宝塔のみであり、寛永寺の綱吉の廟に合祀された。

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