「明治大学発祥の地」

2022.10 撮影
タイトル明治大学発祥の地
作者不明
設置場所東京都中央区 数寄屋橋付近
製作年1995
発祥年1881

明治大学は、1881年に法学の学びやとして岸本辰雄、宮城浩蔵、矢代操の3人の青年により設立された。岸本は鳥取藩、宮城は天童藩、矢代は鯖江藩と、中央から離れた藩の出身で、いずれも「貢進生」として中央に登場した。貢進生とは、明治政府に藩から招聘された選抜生のこと。3人は、江戸から隔たった地域、禄高が低い士族の子弟、嘉永年間生まれという共通点があった。3人は司法官僚養成のための明法寮で出会う。進路はそれぞれだっが、新たな法学の学校を作ろうと意気投合した3人は、1881年に現在の有楽町・数寄屋橋の一角に私立の明治法律学校を設立した。3人ともまだ20代後半である。明治法律学校は3人の恩師であるボアソナードのフランス法学を基礎としていた。創立地は旧島原藩上屋敷を借りて教室とした。各藩の拝領屋敷は明治維新後には明治政府に接収されていたので、学校に転用されることも多かった。1886年に、神田駿河台の新校舎に移転する。

明治法律学校は自由民権運動の牙城とされ、当時の大日本帝国からの厳しい監視にさらされた。しかし、法の力で自由と平等を守ろうという建学の精神が幾多の困難を跳ね除け、現在の明治大学の礎を作っている。

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