「成蹊学園発祥の地(1912〜)」

成蹊学園発祥の地(1912〜) 東京都豊島区 元池袋史跡公園
タイトル成蹊学園発祥の地
作者不明
設置場所東京都豊島区 元池袋史跡公園
発祥年1912〜

成蹊大学創始者の中村春二は、1877年に現在の千代田区番町に生まれる。父は国文学者の中村秋香。東京高等師範附属中学校、東京帝国大学を卒業すると、恩師の嘉納治五郎に声を掛けられ母校の中学校教師になる。自らの教育方針を実践しようとした中村は、本郷西片町の自宅に私塾・成蹊塾を開く。これを支援したのが同じ中学校の同級生で、今村銀行頭取の今村勝三。1906年のことなので、2人が29歳のとき。翌年、同じく附属中学校の同級生でのちの三菱財閥総帥の岩崎小弥太も支援に加わり、1912年、池袋のこの地に成蹊実務学校は開校した。中学の人脈は大切である。

校名の由来は次の成語による。「桃李不言下自成蹊」。モモやスモモなど味わい深い果物の下には人々が集まり、下に自然に道ができるという意。中村春二の教育方針は、生徒一人ひとりの個性を大切にし、個性を活かして鍛錬することで人間教育につなげていくというもの。最初は貧しい学生の教育を志向していたが、評判を呼び、良家の子女が集まるようになった。1924年に享年42歳で春二が没すると、岩崎と今村がその遺志を引き継ぎ学園運営に尽力した。ここに蹊はできた。

中村が描いた成蹊実務学校全景(1912年2月20日)
中村春二筆 成蹊大学HPより引用 https://www.seikei.ac.jp/gakuen/nakamura100/seikeien.html
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