
タイトル | 岸清一先生 |
作者 | 西田明史 |
設置場所 | 東京都新宿区 日本オリンピックミュージアム |
製作年 | 1964(作成)、2019(移設) |
岸清一は嘉納治五郎に続く第2代大日本体育協会会長、国際オリンピック委員会委員。
岸は1867年に松江藩の下級藩士として生まれる。1884年に東京大学予備門に編入。ここで英語教師・フレデリック・ウィリアム・ストレンジの教えを受ける。フレデリックから、岸はイギリス伝統の、スポーツを教育の一環とする考えを学ぶ。東京大学に進学後も、岸は漕艇競技に打ち込む。
東京大学で法律を学ぶと、卒業後、岸法律事務所を創立、弁護士としての道を歩む。英語が苦手との自覚があった岸は1898年から1年2ヶ月にわたりイギリス、アメリカにわたる。サンフランシスコの法律事務所で働いている時に浅野總一郎と知り合い、浅野が狙った東洋汽船の横浜―サンフランシスコの航路権獲得に尽力。帰国後は浅野の関わる大阪瓦斯の取締役となる。
法律の知識、財界とのつながり、語学力、スポーツへの造詣があった岸は、1911年に大日本体育協会の維持員となり、1916年に副会長、1921年には嘉納治五郎の後を継ぐ第2代会長となる。1924年からは国際オリンピック委員会の委員に就任。1924年のパリオリンピック、1928年のアムステルダムオリンピックなどで日本選手団を率いた。日本のオリンピックの黎明期の巨人。
西田明史は1908年生まれ、島根県出身の彫刻家。岸も島根県出身なので同郷ということになる。
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