タイトル | 小松宮彰仁親王像 |
作者 | 大熊氏廣 |
設置場所 | 東京都台東区 上野恩賜公園 |
製作年 | 1912 |
小松川彰仁親王は、幕末から明治にかけて活躍した皇族、軍人。1846年生まれ。明治維新で議定、軍師総裁を務め、戊辰戦争では奥羽征討総督として官軍を指揮し幕府軍を打ち破る。佐賀の乱、西南戦争でも軍功をあげた。1890年に陸軍大将、1894年に勃発した日清戦争では征清大総督として旅順に出征するが、従軍中に病死した有栖川宮熾仁親王の後を受けて参謀総長に就任、全軍を指揮した。
戊辰戦争の指揮官としての威容を、激戦地ここ上野にとどめているのだろう。
実子はなく、はじめ伏見宮家の依仁親王を養子に迎えるが、反りが合わなかったのか、これを廃し北白川能久親王の皇子輝久王を養子に迎えようと画策した。しかし首尾よくいかず、依仁親王は分家して養子解消、小松宮家は断絶した。輝久王は後に小松輝久侯爵と名乗り祭祀を引き継いだ。小松輝久は、東京裁判で皇族として唯一有罪判決を受け服役、後に平安神宮の宮司となるという人生を歩んだ。
小松川彰仁親王は、日本赤十字社初代総裁、大日本水産社初代会頭、大日本山林会会頭なども務めた。時代が違ったら、違う活躍をした人物かもしれない。
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