「大森貝塚碑」本山彦一(書)、吉田政五郎(刻)

2025.2 撮影
タイトル大森貝塚碑
作者本山彦一(書)、吉田政五郎(刻)
設置場所東京都品川区 大森貝塚遺跡庭園
製作年1929

大森貝塚の調査地点を記念する石碑は2つある。ここ品川区と大田区にそれぞれあり、300メートルほど離れている。ともに京浜東北線のすぐ側に立つ。どちらが本当の大森貝塚の地点かは論争があった。

モースは動物学者として1877年にアメリカからやってくる。明治10年のことだ。文部省から採集の許可を得るため横浜から新橋へ向かう車窓から、この貝塚を発見した。鉄道を通したばかりで法面が新鮮だったのだろう。腕足動物や軟体動物の専門家でアメリカで貝塚も調査していたモースには車窓からでもすぐわかったのだ。文部省に雇われたモースは大森貝塚を調査して論文にまとめたが、調査地点を明記しなかったので2つの石碑が立ってしまった。

のちに、土地調査の補償に関する書類が発見され、当該地はここ品川区の山王と定まった。モースは東京帝国大学の教授として日本に初めて進化論を伝える役割を担った。

碑文を揮毫した本山彦一は1853年生まれ、熊本県出身の実業家、政治家。毎日新聞社社長、貴族院議員などを務める。

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