
| タイトル | 下山順一郎 |
| 作者 | 武石弘三郎 |
| 設置場所 | 東京都文京区 東京大学本郷キャンパス |
| 製作年 | 1913 |
下山順一郎は日本の薬学の草分け的な存在。1853年に犬山藩藩校の助教・下山健治の長男として生まれる。1870年(明治3年)犬山藩の貢進士として大学南校に入学し、ドイツ語を学んだ後に製薬学を修める。下山は、日本初の薬学博士であり、東京帝国大学薬学部初代教授。また、第2代日本薬剤師会の会長などの要職を歴任。もともと本草学に強く、1907年に私財を投じて北区十条に薬草園「是好薬園」を開設し、学生の指導や自らの研究のために活用した。医薬分業を提唱した。
銅像の説明板は次の通り。
下山順一郎
1853~1912
1853(嘉永6)年尾張犬山で生まれた博士は、1870(明治3)年犬山藩の貢進生に選はれ大学南校(東京大学の前身)に入学した。1873(明治6)年9月学則の改正により、第一大学区医学校製薬学科(東京大学薬学部の前身)に転学し、1878(明治11)年3月同学科の一期生として卒業、医学部第一回学位授与式では卒業生を代表して答辞を朗読した。博士は1886(明治19)年、かって3年間留学した。ドイツのストラスブルク大学よりDoktor der Philosophie、 1899(明治32)年にはわが国の薬学博士第1号を授与された。博士は1881(明治14)年医学部助教授、1887(明治20)年医科大学薬学科教授、1893(明治26)年薬学第一講座(生薬学)教授として、教育・研究に尽力されると同時に、東京薬学会(現日本薬学会)の創立や、私財を投じた薬草園(是好薬園)の開設等を通し、後輩の育成にあたった。博士は、在職中の1912(明治45)年2月急逝。先生を偲ぶために1913(大正2)年薬学科教室玄関脇に銅像(制作 武石弘三郎)を設置した。その後建物の整備に伴い、この場所に位置を変更した。
製作した武石弘三郎は1877年生まれ。新潟県出身の彫刻家。東京美術学校では長沼守敬に師事する。卒業後、ベルギーに渡り8年間彫刻を学ぶ。著名人の肖像などの人物像を中心に作品を製作した。
この作品はたいへんリアルに感じる。下山の意志の強さが彫像から伝わる。58歳の急逝はさぞ無念だったことだろう。多くの役職を現職のまま、急にこの世を去っていった。
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