タイトル | ミッキーマウス |
作者 | ウォルト・ディズニー/アブ・ワークス |
🇺🇸アメリカ | |
設置場所 | 千葉県浦安市 東京ディズニーランドペデストリアンデッキ |
初出 | 1928 映画「プレーン・クレイジー」(初製作)、 1928 映画「蒸気船ウィリー」(初公開) |
ウォルト・ディズニーは1901年にイリノイ州シカゴに生まれる。16歳で第一次世界大戦に衛生兵として従軍した後、漫画家からアニメーターになった。1927年にディズニーは「オズワルド・ザ・ラッキーラビット」という大人気キャラクターを開発するが、著作権が曖昧だったため、配給したユニバーサル映画に権利を奪われる。また、ユニバーサルに引き抜き工作も仕掛けられ、スタッフの大半も移籍してしまう。失意のディズニーが心機一転して盟友アブ・ワークスとともに開発したのが白ハツカネズミのキャラクター・ミッキーマウスだった。
ミッキーが初めて登場した「プレーン・クレイジー(飛行機狂)」では、ミッキーは歯を剥いてタバコを吸い、酒を飲み、ライバルに殴りかかるような乱暴なネズミだった。これと第2作は大手映画会社に無視されたため公開できず、第3作の「蒸気船ウィリー」がコロンビア映画により公開された。前2作はサイレントだったが、この「蒸気船ウィリー」からトーキー映画になる、なお、ミッキーの声はウォルト自身が担当した。トーキーは音も出る映画のことで、1927年に開発されたばかりの新しい技術だった。
ミッキーの人気は爆発し、オズワルドの人気をも遥かに凌駕する。親たちの要望によりミッキーは善良で礼儀正しいネズミにキャラ変し、今も変わらぬ人気を誇っている。
ミッキーとそっくりのウサギのキャラクター・オズワルドの権利がディズニーに返ってきたのは2006年のことだった。1928年から実に78年が経過した後である。ユニバーサルが意地悪を仕掛けなければ、ディズニーランドの主役はウサギだったかもしれない。
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