タイトル | ポール・セザンヌの為の記念碑 |
作者 | アリスティド・マイヨール(Aristide Bonaventure Jean Maillo) |
🇫🇷フランス | |
設置場所 | 東京都千代田区 鉄鋼ビル |
製作年 | 1912〜1925 |
説明板には次のように記されている。
ポール・セザンヌの為の記念像
1912〜1925
アリスティド・マイヨール(1861~1944)作。フランスの南部バニュルス生れ。パリに出て画家を志すが視力の減退等から彫刻に専念する。代表作に「イル・ド・フランス」「地中海」等があり、ロダン、ブールデルと共に近代刻の巨匠といわれる。この作品は1929年、パリのテュイルリ一公園の一隅に据えられたものと同型である。
ポール・セザンヌは印象派の巨匠。私も好きで展覧会でずいぶんセザンヌは見た。セザンヌといえば繰り返し描いたサント・ヴィクトワール山やリンゴなどの静物画が頭に浮かぶが、人物画の傑作も多い。セザンヌの人物画はちょっとパースがおかしかったりもするが、その存在感は有無を言わせぬ光を放っている。
セザンヌは、30年にわたり、60枚もの水浴する裸婦の群像を描いている。セザンヌの後半生を支配したモチーフ。マイヨールは、このセザンヌの水浴する裸婦を自分の感性と融合させ、独自の美を生み出した。やたらに長い手足は少し遠近感がおかしいが、セザンヌ的な美を見事に体現している。マイヨールは女性像を多作した彫刻家だが、この「ポール・セザンヌの為の記念像」の身体バランスはマイヨールの作品のなかでも異彩を放っている。
セザンヌは1906年に67歳で没した。セザンヌの作品が生前に認められることはほとんどなかった。一方、マイヨールは若い頃は画家を目指すが挫折し一度は芸術の世界から離れる。ようやく彫刻作品が認められるのは、1905年、マイヨール44歳の時だった。セザンヌの死の1年前のことだ。
二人の接点は、今の私では確かめることはできないが、マイヨールがセザンヌの本質を自分の中に落とし込み、新たな表現を目指そうと考えるほど、セザンヌを敬慕していたことは伝わってくる。
マイヨールの彫刻は、テュイルリ一公園に20体ほどあるらしい。生きている間に見に行くことはできるだろうか。夢を見ながら眠ろう。
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