タイトル | デッカー司令官 |
作者 | 川村吾蔵 |
設置場所 | 神奈川県横須賀市 横須賀中央公園 |
製作年 | 1949 |
第4代の米軍横須賀基地司令官として、ベントン・ウィーバー・デッカー大佐が着任したのは戦後の混乱が続く1946のことだった。デッカー司令官は、軍人でありながら、荒廃した横須賀の町の復興に力を尽くした。
まずは「聖ヨゼフ病院」「衣笠病院」「横須賀共済病院」などの医療施設の近代化。当時は、横須賀は性病の罹患率が45.7%、結核も蔓延していたが、米軍の抗生物質のお陰でずいぶん衛生的に改善された。
また、「栄光学園」「横須賀学院」の2校の開校に関わるなど、教育にも力を注いだ。両校は、いまでも名門進学校として伝統を引き継いでいる。孤児院「春光園」の開設にも関与した。
川村吾蔵はアメリカで活躍した彫塑家で、戦後、デッカーに請われて横須賀基地美術最高顧問となった。この像の前面プレートに1949と彫られており、また、吾蔵の没年が1950年なので、このデッカー像は1949年の作で間違いないと思う。ということは、デッカー来日3年目に製作されたものだ。若干早すぎる気もするが。吾蔵はマッカーサーの彫像なども作っている。
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