「Q太郎とO次郎」藤子不二雄

2023.4 撮影
タイトルQ太郎とO次郎
作者藤子不二雄(原作)
設置場所川崎市多摩区 五ヶ村堀緑地
初出1964 漫画「オバケのQ太郎」(「週刊少年サンデー」連載)

藤子不二雄は藤本弘と我孫子素雄の共同名義。藤本は1933年、我孫子は1934年生まれの同学年。1941年に藤本は我孫子のいた学校に転校するが、その後肋膜炎で1年以上学校を休む。2人が出会ったのは1944年、小学校5年のときだった。互いひ弱でいじめられっ子、母子家庭という共通点があり、何より手塚治虫ファンの漫画好きだった。意気投合した2人は上京し、藤子不二雄名義で漫画を共同執筆した。1955年に「天使の玉ちゃん」でデビュー。1964年に連載開始した「おばけのQ太郎」が大ヒットした。

「おばけのQ太郎」は、ストーリーも当初は交互に担当し、作画もQ太郎などおばけ関係は藤本、正太など人物は我孫子と分担されていた。この作品の後あたりから、名義は共同だが2人はそれぞれ独立して執筆することが中心になる。藤本は「ドラえもん」や「キテレツ大百科」など、我孫子は「忍者ハットリくん」「怪物くん」「笑ゥせぇるすまん」などそれぞれが作品を生み出すようになっていく。2人で共同執筆したこの「おばけのQ太郎」は、2人の友情の結晶ともいえる作品ではないだろうか。

人間社会に突然やってきたおばけは、ある種の異邦人、ストレンジャーである。かつて転校してきて知らない街に放り込まれた藤本も、異邦人のような気持ちだったのかも知れない。そこで出会った我孫子に魂を救われたのだろう。2人は、1987年に共同名義を解消しそれぞれ独立する。共同名義の期間は、実に36年に及ぶ。コンビを解消しても、2人は「藤子・F・不二雄」「藤子不二雄Ⓐ」として、その名を消すことはなかった。

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