
タイトル | 平沼さんの像 |
作者 | 山脇正邦 |
設置場所 | 横浜市神奈川区 三ツ沢公園 |
製作年 | 1962 |
平沼さんとは、元横浜市長の平沼亮三のこと。碑文は次の通り。
この像は平沼にさんのスポーツ振興に尽された足跡を記念するため横浜市体育協会が提唱し各界の関係者及びに縁故者などからの寄付により建立されたものでいで常に平沼さんの温容に接しその遺徳を偲ぼうとするものであります
正面の文字は秩父宮妃殿下の御染筆になるもので永く平沼さんの功績を讃えるものであります
昭和37年10月31日
聖火をかかげる平沼さんの像建立実行委員会
名誉会長 横浜市長 半井清
会長 横浜市体育協会 横浜市議会議長 津村拳男
平沼亮三は1879年(明治12年)に横浜で生まれる。慶應義塾大学に進み、福澤諭吉の薫陶を受ける。慶應義塾大学野球部では4番打者だった。1911年から、神奈川県会議員、横浜市会議員、衆議院議員、貴族院議員と政治家としての道をあゆみ、また、実業家としては玉川電気鉄道、第一ホテルの社長を歴任した。スポーツの振興にも力を発揮し、東京六大学野球連盟会長、全日本体操連盟初代会長、日本陸上競技連盟初代理事長・会長、日本バレーボール協会初代会長を歴任した他、1932年ロサンゼルス五輪と1936年のベルリン五輪で日本選手団団長を務めた。太平洋戦争後に、公職追放となる。
公職追放が解除となり、1951年に横浜市長選に出馬し当選。1955年にここ三ツ沢競技場で行われた第10回国民体育大会では、76歳ながら炬火リレーの最終ランナーを務める。それを目撃した昭和天皇が詠んだのは下記の句。
松の火をかざして走る老人(おひびと)のををしき姿見まもりにけり
その勇姿を活写した像が、ここ三ツで今も見ることができる。
台座の裏に、M YAMAWAKIとサインが彫られている。山脇正邦の作と考えて良いと思う。山脇正邦は、1914年生まれ、兵庫県姫路市出身の彫刻家。
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