「横浜市慰霊塔」吉原慎一郎、加藤藤治

2023.4 撮影
タイトル横浜市慰霊塔
作者吉原慎一郎(設計)、加藤藤治(施工)
設置場所横浜市神奈川区 三ツ沢公園
製作年1953

とにかくその偉容に圧倒される。高さ25メートルはビル8階建てに相当する。

説明板は下記の通り。

慰霊塔ご案内

この慰霊塔は、西南戦争以来、第二次世界大戦に至る戦争犠牲者2万余柱の御霊を永年安置するための慰霊塔であります。
慰霊塔は、2基の塔と、安置堂その他からなり昭和28年3月、1000万円の経費にて建設されましたが、このうち700万円は、市民からの募金によったものであります。
塔は門を象徴しており、向って左の塔は、高さ18米で上部を欠いてあり、下部に「昭和二十年」の5文字を浮き出してあります。
これは、今次大戦ではらった大きな犠牲と破壊を表したものであります。
また、向って右の塔は高さ25米で新生日本が雄々しく、将来にむかって発展する姿を表したものであります。

横浜市
恒久の平和を願って

戦後50周年を迎えて、更なる平和への願いを込めて慰霊塔を改修 いたしました。 この慰霊塔は、西南戦争から第二次世界大戦までの戦争犠牲者 の御霊を安置するため、昭和28年3月に建設したもので、左の塔 は、先の大戦ではらった大きな犠牲と破壊を表し、右の塔は、新 生日本が将来にむかって発展する姿を表しています。 市民の皆様と共に諸霊の御冥福を心からお祈りし、戦争の悲惨 さを忘れることなく、恒久の平和を念じたいと思います。 横浜市は、21世紀に向かって、世界に開かれた国際都市づくり を進めていますが、ピ-スメッセンジャー都市として、今後とも 積極的に国際交流活動を展開し、相互理解を深め、世界の平和と 発展に貢献していきたいと思います。

平成7年11月1日  横浜市長 高秀秀信

太平洋戦争末期となる1945年5月29日、横浜は米軍による大規模な空襲により焦土と化した。B29型爆撃機517機とP51型戦闘機101機により徹底的に焼き尽くされ、8000人とも10000人ともいわれる死者を生じた。

この場所では、戦時中には横浜護国神社を建立すべくその建築が進んでいたが、空襲により焼失した。その跡地に建てられ昭和二十年と刻まれたこの慰霊碑に、途方もない数の命が失われた取り返しのつかない戦禍の歴史を痛恨とともに感じざるをえない。

戦死者2万人が何を積算したものか調べても不明だが、未来ある多くの無辜の命が失われたことは間違いない。決して繰り返すまじ。

設計者は創和建設設計事務所所長・吉原慎一郎、施工者は加藤建設株式会社社長・加藤藤治。

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