
タイトル | 西公園のこけし塔 |
作者 | 大沼又五郎(原案)、安倍郁二(デザイン)、鈴木鋳造所(鋳造) |
設置場所 | 仙台市青葉区 勾当台公園 |
製作年 | 1961 |
説明板が設置してある。
西公園のこけし塔
青葉区役所
昭和36年(1961)、宮城県の「伝統工芸・観光振興のシンボル」として、仙台商工会議所が中心となり設置された鋳物のこけしである。大沼又五郎作とされる伝統鳴子こけしを基に、安倍郁二(産業工芸試験所東北支所長)がデザインしたものであり、高さ 7.4m(秋保石で造られた台座も含めた高さは9.8m)、重さ約8tである。山形市の(株)鈴木鋳造所で鋳造され、陸上自衛隊の手で、関峠を越えて仙台に運ばれ、3日がかりで建立された。
これまで、幾多の地震(宮城県沖地震、東日本大震災等)、風雪に耐えてきた堅固な作りとなっており、鋳物を透かし彫りするという斬新な意匠を施したデザインから産業工芸道産としての評価も高く、西公園のシンボルとして広く市民に親しまれてきた。
昭和58年(1983)、仙台商工会議所の寄付により塗装されたが、その後40年が経過し、全体的に退色が顕著となったことから、令和5年(2023)、昭和36年設当初の配色を参考とし、再塗装を行った。
大沼又五郎は江戸時代から明治に活躍した木地師。1824年に鳴子温泉の鳴子高野屋・高野四郎作の子として生まれる。弘化4年(1848年)に大沼家の入婿となる。又五郎は、弘化年間(1844〜1848年)に、小田原から湯治に来ていた皮膚病(資料だと「瘡カキ」=梅毒?)の木地師から小物挽きの技術を習得した。鳴子では、それまで小物の木地玩具の伝統はなく、又五郎がパイオニアとなって鳴子こけしの伝統が始まった。又五郎は卓越した技術を持ち、多くの弟子を育てた。1889年(明治22年)に66歳で息を引き取った。
安倍郁二は、1948年から商工省工芸指導所の東北支所長を務めた人物。1952年から工業技術院産業工芸試験に改称。
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