
タイトル | 戦艦陸奥 第四主砲 砲身 |
作者 | 横須賀海軍工廠 |
設置場所 | 神奈川県横須賀市 ヴェルニー公園 |
製作年 | 1921(竣工) |
説明板は下の通り。
戦艦陸奥の主砲
戦艦陸奥は1921年に横須賀海軍工廠で建造されました。
完成当時は世界7大戦艦に数えられ、戦艦長門とともに連合艦隊の旗艦として活躍しました。その主砲は41センチ連装砲4基で、射程距離は、現在設置されているヴェルニー公園から羽田空港あたりまで届くとも言われています。
戦艦陸奥の主砲は、ルートミュージアムのサテライト施設でもあります。
戦艦陸奥は1942年に、砲塔の火災により爆発し、瀬戸内海の広島湾沖の桂島泊地で沈没した。
陸奥の沈んだ海域は瀬戸内海なので深くはなかったが、海流が激しい場所だった。1970年に、政府が深田サルベージ株式会社に2,450万円で船体を払い下げることを決定。陸奥のサルベージは民間主体で行われることとなった。
戦艦陸奥は海底で船体を真っ二つに切り分けられ、1971年にその後ろ半分が引き上げられた。藻が生い茂り、漁礁のようになっていたという。館長室からは日帝のマークが入った皿やコーヒーポットが発見された。ヴェルニー公園に展示されているこの第四主砲と砲塔もこの時引き上げられた。砲塔からは数体の遺骨も発見されたという。
その他の部分も細かく切り分けられサルベージされ、全体の75%までは引き上げられたが、艦首や艦橋以外の戦艦陸奥の前半部分は、未だ海底に沈んだまま、戦時の無念を晴らせずいる。ここヴェルニー公園で、わだつみの底から還ってきた第四主砲は、鋭くその砲身を光らせ、巨艦時代の気概を今に伝えている。
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