「大井玄洞の像」後藤良

2023.2 撮影
タイトル大井玄洞の像
作者後藤良
設置場所東京都文京区 江戸川公園
製作年1928

説明板は次の通り。

大井玄洞の胸像

かつて江戸川と呼ばれていた神田川は、たびたび洪水をおこし、沿岸の人々にとって治水事業は、永年の願いでした。
明治43年(1910)の大洪水の後、大井玄洞(1855~1930)は人々の願いをかなえるため、治水に尽力しました。
大正2年(1913)に護岸工事着手し、大正8年(1919)に完成させています。
人々は、この治水事業の功績を称え、昭和3年(1928)神田川沿いの江戸川公園の当所に玄洞の銅像を建てました。

目白台・関口の歴史

後藤良(なおし)は1882年生まれの彫刻家。彫刻家・後藤貞行の次男。後藤貞行は皇居外苑の「楠木正成」像の馬や「西郷隆盛」の犬の彫刻などで有名。

大井玄洞は波瀾万丈の人生だった。1855年に加賀藩の儒医の子として生まれる。大学南校でドイツ語を学び、卒業後は大学区医学校(現・東京大学医学部)のドイツ語通訳となる。玄洞は、製薬学科の助教となり、ドイツ語を訳して「生薬学」という言葉を日本で初めて作った。玄洞は東京医学校を辞して金沢大学薬学科に赴任。石川県立金沢病院の薬局長も務める。しかし、翌年これらを辞してドイツに遊学する。

帰国後の1886年に陸軍二等薬剤官となり、日清戦争にも従軍している。1899年に予備役となるが、1900年の義和団の乱に召集され、事変の終結とともに召集解除となる。

その後、玄洞はガーゼや脱脂綿を商いながら区議会議員、府議会議員を務める。江戸川の護岸工事はその時の仕事である。

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