
タイトル | 長谷川伸文学碑 |
作者 | 不明 |
設置場所 | 横浜市西区 日本丸メモリアルパーク |
製作年 | 1985 |
長谷川伸は、1884年、横浜は日の出町に生まれた大衆作家・劇作家。父親の放蕩と暴力のため、母は伸が3歳の時に家を去り、その家も没落し、伸は3年生で小学校を中退する。伸は、横浜の船渠で働き、品川の遊郭の使い走り、港の水撒き人などをするなか、港で拾った新聞のルビで漢字を学び、芝居の批評文を新聞社に持ち込んで認められ、新聞社にもぐりこむ。その後、英字新聞ジャパン・ガゼットに移る。
伸は陸軍に入隊し、除隊後は横浜毎朝新聞に入社する。横浜毎朝では警察回りだったが、その後都新聞に移り劇評を書く。記者時代は知識が乏しく劣等感を抱いていたようだ。1925年に都新聞を退社すると、作家として専業となり、膨大な大衆小説を生み出した。「股旅物」というジャンルも長谷川伸が作った。
小説としては「中山七里」「関の弥太っぺ」「一本刀土俵入り」、戯曲としては「沓掛時次郎」など。1934年に、母の消息を知った伸は牛込の母の在所を訪ね涙の再開を果たす。この経緯は「瞼の母」という小説にまとめられた。1938年からは従軍作家として太平洋戦争を体験、「日本捕虜志」を著した。
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